旅立ちの年度末


怒涛の1週間でした。

目次

3月23日(火)

介護老人保健施設に入っていた義父が急逝し、お迎えに行きました。
なんの前触れもなく、午前8時過ぎに「眠るように」とのことでした。
闘病生活をしていたとか、いつ逝ってもおかしくない状況だったではなく、本当の急逝でした。
葬儀屋さんに連絡をし、義父を妻の実家にて安置しました。

 

3月24日(水)

 

通夜、告別式当の手配などで一日が過ぎました。

 

3月25日(木)

お通夜

 

3月26日(金)

告別式など
妻の実家に行くたびに、帰り際には道路で手を振ってくれていた義父の姿が見えないのがとても寂しく感じました。

 

3月27日(土)

娘の引っ越しのため、早朝に出発し奈良へ
当初の予定では前日の3月26日に私の実家である大阪に到着し、余裕を持って引っ越し作業をする事になっていました。
京都の私の兄が鍵の引き渡しや、搬入される荷物の受け取り、搬入された家具の組み立てなどをやってくれたお陰で滞りなく大きな荷物は片付きました。
夜は大阪の実家で久しぶりに会う母や義姉と楽しく食事をし、久しぶりにほっとした時間を過ごすことができました。

 

3月28日(日)

当初はこの日に私は長野に戻る予定でしたが、娘の引っ越しに伴う生活必需品などの買い出しや、エアコンの取り付け立ち会いなどであっという間に時間が過ぎてしましました。

一人暮らしのスタートを後押しすべく、「頑張りなさい。」と一言添えて、父親である私は娘の新居を後にしました。

永遠の別れではないけれど、18年間一緒に過ごした娘の嬉しい門出はやはりグッとくるものがありました。

 

3月29日(月)

行きは娘と一緒だった車の中が、帰りは私ひとり。
いつも大阪からの帰りに立ち寄るSAで食べるたこ焼きを、シェアすることなく食べるのが寂しかったです。

 

こんな義父でした

 

およそ25年前からのお付き合いである義父の急逝は大きなショックではありますが、配偶者の親ということで冷静に対応ができたと思います。
妻と知り合ってから25年ほどになりますが、妻の祖父母、両親と4つのお別れを経験しました。
しっかりした妻なので、私のサポートなんて不必要かも知れませんが、一人っ子なので何かを相談する兄弟姉妹がいません。私に何かできることがあれば嬉しいと思います。
私は3人兄妹の真ん中。兄も妹も結婚をしているので、妻には義理の兄姉弟妹すべてが揃っております。
私、お買い得でしょ?

 

義父からしたら、「酒を一緒に飲めないつまらん男」だったかも知れません。体質の関係で申し訳ありませんでした。
でも私が飲めない体質のお陰で、実の娘と一緒に飲めてよかったのでは?
(泊まらない日は車を運転して1時間ほどかけて帰ります)
婿と飲んでいたら、娘と飲めないんですよ。
やはり娘の方がかわいいに決まってますよね。私も娘を持つ身なので、よく分かります。

 

「真面目」「人に迷惑をかけない」そんな生き方をする義父でした。
農閑期に伊豆に旅行に行った時でも、「長野が大雪だ。雪かきしなきゃいかんから、俺は帰る」と家族旅行を離脱したこともありました。

 

「じゃあ明日、朝8時から田植えだから来れたら来て」と言っておきながら、私が8時に到着したらすっかり田植えが終わっていたことも何度もありました。
働き者の性分なのか、「待つ」のが嫌いなせっかちなのか、もう少し一緒に農作業やりたかったです。

 

人望でしょうか、集落のいろんな仕事を引き受けていましたね。

 

 

父と娘

娘が生まれてから18年。
子育ての最後の最後である高校3年生の夏から、妻が単身赴任をしたので父娘の二人暮らしの9ヶ月間でした。

受験期でもあり、多感期でもある女子高生と親父の二人暮らしでしたが、彼女にとってはどうだったのでしょうか。親としてやるべきことができたかどうかは分かりません。

 

引っ越しを終え、面と向かっての最後の最後の瞬間、もっと気の利いたことを言ってあげたらよかったのでしょうが、「頑張りなさいよ。じゃあ、行くね。」と言うのが精一杯でした。

 

一緒に過ごした時間の、些細でたわいもない会話がお互いの癒しになっていたことは間違いありません。ともすると親離れ子離れができない関係になっていたかも知れませんが、今ここでお互いが新しい人生の第一歩を踏み出した「同志」のような関係になるような気がします。

 

1週間で2つの大きなお別れをしました

どっと疲れが出るのを感じました。
だからこそ、ちょっとした嬉しいことに過剰に反応しております。

「今日のごはん」
「おいしい」
と手料理の写真も添えて娘からLINEが来た時には、血の濃さを感じました。

料理すること、食べることって大切な生活の営みだよね。
「食う」意欲があれば、人間は大抵のことを克服できます。
料理している間はそれに集中してマインドフルネスにもなるし、美味しく食べることができたらそれも癒しになるし、作った料理を他の人に知らせるのはコミュニケーションに繋がるしね。

 

お知らせ

本日より、通常通りの生活です。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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伊東 稔

伊東稔/Minoru ITO 骨盤矯正と姿勢改善の専門家 カイロプラクティック伊東(長野市)院長 兼業主夫でもあり料理好き 『ねこ背を治す教科書』著者 http://amzn.to/2qB9VS2
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